名古屋高等裁判所 昭和27年(う)60号 判決 1952年3月19日
控訴人 被告人 河合龍行
弁護人 鈴木貢
検察官 神野嘉直関与
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋地方裁判所に差戻す。
理由
本件控訴の理由は弁護人鈴木貢及被告人の各提出した控訴趣意書記載の通りであるから茲に之を引用する。
依つて記録を調査するに、起訴状及び記録編綴の昭和二十六年少第六〇一号決定書及原審各公判調書を綜合考察すると、本件は曩に名古屋家庭裁判所豊橋支部に少年保護事件として繋属したのであるが同支部の裁判官影山正雄が之を審理した結果、罪質、情状に鑑み、刑事処分を相当と認め昭和二十六年十月十七日少年法第二十条に則り、右事件を名古屋地方検察庁豊橋支部に送致する決定を為したところ、同年十月二十三日、同検察庁副検事熊谷勇夫から原審に対し強盗傷人被告事件として起訴せられたものであること、並に前記影山正雄が本件に就き原審の裁判官として審理判決したものであることが何れも明認せられる。
刑事訴訟法第二十条第七号によると、裁判官が事件について第二百六十六条第二号の決定、略式命令、前審の裁判、差し戻し又は移送された場合に於ける原判決又はこれらの裁判の基礎となつた取調に関与したときはその職務の執行から除斥せられる旨を規定する。また同法第二百五十六条第六項には、起訴状には裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞れのある書類その他の物を添付し又はその内容を引用してはならない、と定めてある。これは苟くも裁判官として事件を審理する場合に於ては須らく白紙を以て臨むべしと謂ふ観念から生じた規定であつて、憲法第三十七条第一項の「すべて刑事々件に於ては被告人は公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」との精神を承継したものである。
ところで家庭裁判所の裁判官が、保護事件の内容を取調べた結果、刑事処分を相当と決定したときは前記第二百六十六条第二号の「事件を管轄地方裁判所の審判に附する旨の決定をした場合」と其性質著しく酷似するを以て刑事訴訟法第二十条第七号、同法第二百五十六条第六項の趣旨に照らし、該裁判官は当該事件に就ては職務の執行から除斥せられるものと解するを妥当とする。従つて曩に家庭裁判所の裁判官として送致の決定をした裁判官影山正雄が一面地方裁判所の裁判官として該送致に係る本件に就て審理判決したことは刑事訴訟法第三百七十七条第二号所定の違法ありと謂ふべく論旨は寔に理由がある。
即ち原判決はこの点に於て既に破棄を免れないから他の争点に対する審理判断を省略し、刑事訴訟法第四百条本文に則り主文の通り判決する。
(裁判長判事 深井正男 判事 鈴木正路 判事 山口正章)
弁護人の控訴趣意
第一点 原審の訴訟手続には、法令の違反があつて、その違反が判決に影響を及ぼすこと明らかである。
原判決は、裁判長裁判官影山正雄、裁判官山田博、裁判官松田四郎の三氏によつて構成された合議裁判所によつてなされたのであるが、構成員の一人たる裁判長影山裁判官は、さきに、本件に付、名古屋家庭裁判所豊橋支部裁判官として、同庁に係属した被告人に対する強盗傷人保護事件の調査をなし、その結果、罪質及び情状に照らし刑事処分を相当と認めて事件を名古屋地方検察庁豊橋支部に送致の決定したものであること記録上明白である(記録三五丁の決定書なお少年法第八条第二〇条少年審判規則第一一条等参照)。ところで「すべて刑事々件においては、被告人は、公平な裁判所の……裁判を受ける権利を有する」ことは憲法第三十七条第一項の明定するところであつてこの憲法の大精神の実現を所期するため刑事訴訟法は幾多の規定を設けている。そして具体的事件の審判について裁判の公正と威信とを保障するため刑訴法第二〇条は裁判官の除斥を規定しているが、これは「刑事々件につき先入主となつて、予断を懐き、往々判断を誤るの虞なきを保せざるのみならず、他人をして其の裁判の公正に対し疑念を挾ましむるが如きは裁判の威信を損すること鮮少ならざるに因るもの」であること既に旧大審院判例の説示するとおりである(大審院大正十五年(れ)第一五一号同年二月二十日判決)。
原審裁判長影山裁判官が前記強盗傷人保護事件の調査をしたことは、刑訴法第二〇条第六号に直接該当するものと言い得ないことはもちろんであるが、略々近似した職務を行つたものと解せらるし、同裁判官が前記検察庁への送致決定をしたことは、少くとも、右法条第七号の「事件について第二六六条第二号の決定、略式命令、前審の裁判……移送された場合における原判決又はこれらの裁判の基礎となつた取調に関与したとき」に準じ除斥の原因に該当するものと解するのが前敍憲法の精神に合致するものと思料する。もし右見解が是認されるならば、原判決は刑訴法第三七七条第二号の場合に該当する違法がある。
仮に然らずとするも、刑事訴訟法は、前記憲法の精神に則り、具体的事件の審判に当り、裁判官の事件に対する予断偏見を排するため所謂起訴状一本主義を採用し「起訴状には裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し又はその内容を引用してはならない」(第二五六条第六項)と規定し、之に背反する起訴手続は無効とさえされるのであるから(広島高等裁判所昭和二四年(新)第二〇一号、同年一〇月一二日判決、高裁刑集二巻三号三六六頁参照)前記保護事件の調査に関与し事件の内容、特に罪質並に情状に通曉し被告人に対し刑事処分を担当して検察官への送致決定をした(被告人にとり保護処分に附せられるよりも不利益である)裁判官が自ら裁判長として本件の審判に関与した原審の訴訟手続は、憲法並に刑事訴訟法の精神に反するものであり右の違法は判決に影響を及ぼすこと明らかである。右いずれの点よりするも原判決は到底破棄を免れないものと思料する。
(その他の控訴趣意は省略する。)